
告知等一切しないままでしたが、年末に海月文庫とアビィでそれぞれ展示しておりました。
これにて2009年も終了。
2010年もよろしくお願いします。
来年は新しい動きが加わる予定です。僕としては楽しみ。

最近、写真が撮れていません。
この時期はもう毎年のことなのであまり気にしてませんが。
先週の日曜日に美術館に行って、長蛇の列に諦めて、そのまま神戸の街へ。
そこで、友人と陽気にレゲェを歌う外国人や音楽に合わせて踊ってる子供たち、
イベントでのJazzのライブ、
最後にまるで何かに導かれるようにSHEENAに出会い、演奏を聞きました。
絵を見に行って、音楽に出会った日でした。
その火曜日に「東京ノート」という芝居の舞台を見ました。
話の舞台が美術館のロビーで、実際に美術館の中での公演でした。
話は、あるシチュエーションの中での群像劇で、
1つの明確な物語があるものではなく、
ただ、1つ1つ、人の持つ微妙な寂しさや哀しみが描き出されていくような。
まるで虚構と現実の狭間に留め置かれたかのようなその世界は、
ともすれば、思わず声をかけてしまいそうな、そんな舞台でした。
舞台の上で人々が放つ光、今回はその何かを感じることが無く。
「そこにある」それが、あまりにも自然に思える舞台でした。
ちゃんと用意された観客席に座ってるのでなければ危なかったかもしれません。
それがこの劇団と演出家が描き出したものなのだろうと思っています。
11月に別の作品の公演があります。
彼らの表現する「何か」が気になるので、見て確かめてこようと思っています。
「東京ノート」の中での一言。絵を見るということについて。
「僕たちは、絵の風景を見ているんだろうか? 作者を見ているんだろうか?
それとも、その作者の世界を見ているんだろうか? 一体何を見ているんだろう?」
少し新鮮な驚きでした。
何を見るのか、描き出すのか、見せるのか。
時折、立ち止まって考えを巡らしてみるのも良いのかもしれません。

ギャラリー・アビィでは今週はラオスの子供たちの写真の個展でした。
愛らしい笑顔と澄んだ瞳。
ラオスは世界でも非常に貧しいとされる開発途上国の1つ。
実際に日本でも様々なNGO団体が援助をしています。
その澄んだ瞳と笑顔を見るときに、
幸せとは何か、援助はどのスタンスにあるべきか。
少なくとも、今の先進国と同じ道に導こうとするのは間違いでしょう。
先進国の人々が本当に幸せかを考えればわかることです。
では、どこへ導くのか。本当の幸せは何か。
考えさせられます。
作者にそのような質問をぶつけてみました。
答えはまだ考え抜かれたものではなく、今考えたような・・・
ジャーナリズムの写真は、アートとしての写真とは別物です。
アートの写真は製作者の世界観がカタチとしてあることが必要です。
ジャーナリズムの写真は、世界は既にある事実であり、背景です。
つまり、そこにまず事実があり、その上に想いを乗せる必要があるわけです。
そこが少しあやふやなまま描き出された作品でした。
それでも子供たちの笑顔と瞳の説得力はほんとうに素晴らしくて。
これからも撮り続けるであろう作品たちにジャーナリズムの芯が通る日が楽しみな、
そんな作品展でした。
僕の投げかけた質問は、彼の内面にどんな波紋をのこすのでしょうか・・・



ギャラリーアビィ企画展「ナツいろ4」 無事終了しました。
金曜日まで、海月文庫での「静物画展」があります。
写真と、タイトルと。
僕自身の中に「夏」のイメージとして「死」があって、
それは戦争にまつわる様々な記念日もそうですし、お盆もそうですね。
それ以外に、友人が皆田舎に帰ってしまったりした後のひっそりした街の空気が、
何かが死んでしまったかのような、そんな風にも感じたのかもしれません。
ナツいろの1,2ではそれぞれRequiem,Lost memoriesと題して死のイメージをそのまま出しました。
前回の3ではそこから変えようとテーマを「夏休み」としてDays -at the summer dream-としました。
夏休みと言うのは、なんだかんだでやはり夢の日々なのだと思います。
今回は3の系譜を継ぐつもりでいたのですが、
出てきてみればそこかしこに「死」のイメージが・・・ お墓が問題なのかもしれませんが。
タイトルはdreamという言葉をどこかに入れようとだけ考えていたのですが、
この結果を受けてDreamingというタイトルにしました。
Dreaming
もちろん、夢を見る。そういう言葉の意味もありますしイメージとして託してもいます。
ただ、この言葉にはもう1つの意味があって、
オーストラリアの先住民族アボリジニの持つ神話の世界、それもまたDreamingと呼ばれます。
絶滅しつつあると言われるその文化と共に語り継がれる神話の世界。
それもまた、人の命や、終わってしまった夏の日のように、儚いものなのかもしれません。
夏は終わり、また秋が来ます。
儚い日々が続き、そして積み重なってゆきます。
それぞれの人が描き出すDreamingの世界。
僕たちは、その歩いてきた軌跡を振り返るときに何を見、そして思うのでしょうか・・・

ギャラリーアビィ 「ナツいろ4」 火曜日から2週間開催です。
国立国際美術館へ行ってきました。 やなぎみわさんの展示を見に。
今回は友人と一緒に。
いつもとは違ったペースで見る。いつもの自分のペースではなく。
そうすると、また違った何かが見えてきたり。
それぞれに見方や捉える何かが違うから、その交換が面白く、
そこから得られる新たな視点やモノの見方は僕にもそれまでとは違う世界を見せてくれます。
そうやって見える新しい世界の旅もまた素晴らしいものですね。
その後、夕方から舞台を見に行くということで駅で見送り、
僕はというと結局電車には乗らず水都大阪を覗いてきました。
そこには海月文庫で知った作家の作品も何点かあり、
そうやって第一線で活躍する人々が企画展で共に展示してくれるという事実は、
やはり彼ら自身と海月文庫という場の懐の深さなのだということに気付かされます。
あの「場」に導かれた事、出会えた事はやはり感謝以外のなにものでもなく。
その翌日に神戸へ。
イベントの後、メリケンパークへ行ってみました。
ビエンナーレの準備が始まっていて、それはわかってて、
「結局自分は参加出来ない。」その事がなんだかんだでやっぱりすごく悔しくて。
でも、そこに足を運んでみると、やっぱりすごくワクワクしてる僕が居て。
楽しいイベントになると良いなぁ。って。
次こそは参加できるようになりたい! って。
悔しい。ではなくて、そう思う事が出来ました。
風がどこから吹いてどこへ向かうか。僕にはわかりませんが、
何はともあれ、何かしら1つ昇華させることが出来たような、そんな気分です。
1つ1つ、前に歩んでいきます。